この話はフィクションです。似たような状況を見聞きされた方がいらっしゃっても、たまたま私が書いたこの話と一致しただけです。台風の日の読み物として書いてみました。
時代はバブル最盛期、「私をスキーに連れてって」という原田知世さん主演の映画がヒットしたのもこの頃です。当時、日本国内のアマチュア局に免許されるのは500Wまで、28Mhzや50Mhzは50Wという時代でした。国産リニアはTRIOのTL-922(3-500z x 2本)や八重洲無線のFL-2100(572B x2本)が主流でした。海外製品ですとヘンリー社製が幅をきかせていました。
とある大学の無線部を見学した私はそこにあるリニアアンプに興味を持ちました。なんと全てのリニアアンプが自作品でした。流石です。
- 4CX250 x 2本 通称 電監リニア(これで免許を下したと思われます)
- 7F37R x 1本 通称はありませんでした。
- 3-500Z x 4本 通称 黒リニア(外観が黒色)
4CX250(電監リニア)は大変良くできていました。きっちり500Wしかでません。但しバンド切替のロータリスイッチには21Mhzの先にバンドの刻印はありませんが、28Mhzと50Mhzのポジションがありました。
7F37R は東芝の4極管です。あまりアマチュアの制作事例はなかったはずなので、リニアアンプをキチンとご自身で設計できる方がデザインしたものと思われます。きっちり7F37Rのプレート損失に見合ったパワーがでていました。
3-500Z(黒リニア)は驚きの逸品です。3-500Z x 4本です。4本パラにして、それぞれの真空管のプレート電流が一定に収まるのかとかいうことが気になり始めたら、絶対に作れません。これを作ろうって決めて実行に移した方は凄いと思いました。
部室にはバード43のパワー計がありましたが、1KWのエレメントしかありませんでした。まずはフルスケールになるように調整し、1KWのエレメントを180度回転させ、反射波を計測します。その後ドライブを増やし、反射波が最大となるように調整します。それ相応のパワーが出ていたものと思われます。
調整の最後に重要な儀式があります。3-500Zを目視確認し、フルパワーにした状態でそれぞれのプレートの色がほぼ同じとなっていることを確認することです。もし、プレートの色が違っていた場合ですが、プレートの色がより白っぽい球がプレート電流が流れすぎていると思われるので、その球を1本抜いて3本で運用することになっているとのことでした。
気になる電源ですが、部室には単相200V 100Aが引かれており、電源トランスの一次側を直接分電盤の銅バーにねじ止めしていました。
ちまたでは、どこそこの大学のクラブ局はコカ・コーラの自動販売機をケースにしてリニアを制作したとか、水冷管を冷やすため、大学の水道の蛇口から直接水を流しっぱなしにしているなど、噂が絶えませんでした。
現在はあまりハイパワーリニアの話は聞きません。一部の方はその世界にいらっしゃるのかもしれませんが、アマチュア無線人口が減ったことや、ルール内で楽しむことに価値観を見出すといった、より成熟された方が増えているからでしょう。
当時はハイパワーリニアの世界は自作が幅をきかせていましたが、現在はアメリカでも許可されないようなレベルのハイパワーリニアですら、100万円もだせば購入できてしまいます。買ってしまえばハイ終わりということで、あまり技術的な楽しみや優越感も見いだせないといったことも背景にはあるのかもしれません。
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